会員と、ビジターの違いは、ひとことでいうと、「ピアノをやるか、やらないか?」だと思います。

土曜日クラスは、ピアノをやらないのですが、平日2回、ピアノをごくごく短時間ですが、個人で向き合うことで、ご家庭での練習の責任を少なくしたいという考えです。

幼児の場合、自分だけの力で、ピアノの練習を毎日するのは、とても大変です。宿題を出せば、それはほとんどがママの力でしょう。

先生によっては、ママに、「来週までに、ここをやっておいてください」と下請けして、自分は、それをチェックするだけ。というのも、園長時代に、よく話に聞いていました。週に2回、先生と一緒に弾けば、家にピアノがなくても良いし、家にあるのは、電子ピアノでも問題ないと思います。

家でのピアノが禁止というわけではないので、遊びの延長で弾いている子もいます。

現在50歳のまり先生が、60歳の時に、リトミック、音楽で遊べる仲間を育てるのが目的のラボ設立ですので、できれば、リトミックをする仲間みんなに、そこそこのピアノとパーカッションの演奏力をつけておいてほしいのです。これだけ音楽漬けにしておいたら、中学生になったら、ギターなどいろんな楽器を始めるかもしれないので、そしたら、みんなでバンドが組めます。(あ〜、楽しそうな60歳の私。)

写真の1番さん3歳の子は、自作の曲。「ハート、星、ハート、星」を弾き歌いです。

2番さん(3歳)、3番さん(年少)は、おなじみの童謡を完璧に仕上げて暗譜で弾きました。

4番さんは、小学2年生。ピアノを個人で週1習いに来てくれています。30分間、貸切です。

ピアノと一口に言っても、

その子の個性によって、ピアノに向き合う形はそれぞれなので、指導方法も教則本もそれぞれ選んでいます。

表現活動のツールとして、ピアノに向き合っている子は、音符よりも教則本のイラストを見て弾くことが多いので、発表会以降は、思いきって、絵本からのイメージでレッスンすることにしました。

順序通りに曲をこなして、御褒美シールを増やしていくことが好きな子は、ある程度、先が予測できることに安心するので、いつも先の見通しを告げています。

自分の好きなことに重きを置くタイプの人は、案外、自分がやるべきものを自ら狭めている場合もあるので、その壁を取り除く作業もあります。やってみたらできた!そんな体験は、小さいうちにたくさん積み重ねることで、守備範囲が広がります。

私のことが好きだから、ラボに通ってくれる子には、ピアノの成果よりも、たくさん話し、共感し、共に遊ぶ時間も取っています。

教材も、いろいろです。

大人のピアノでは、指鳴らしは、「ハノン」ではなく、「ラジリテ」を使っています。私自身のピアノの先生が、私に似合うはずと言って、「ハノン」から「ラジリテ」にしてくれたので、思いいれもあります。

発表会ですが、小さい子たちも高いピアノの椅子に、自らよじ昇っって、弾き始めています。普通の発表会だったら、大事に抱きかかえられて座るところでしょう。

昭和の高度成長期には、親が戦後で贅沢ができなかった分、子供に期待ということで、私世代の子は、ほとんどがピアノを習った経験があり、実家がピアノ教室の私のクラスメイトは、女子の半分がうちに習いに来ていた小学3年生という一瞬もありました。

「やらされるピアノ」から、「自分でやりたいピアノ」へ。時代も変わってきていると思います。現に、ピアノを武器として、超難関高校の授業に正式に、「音楽」とは別に、「ピアノ」の授業があるところもあるし、「ピアノが弾ける」ということが、一つの目安になる社交の場もあるのが、現代の現実です。

ペダルについても、補助ペダルという器具もありますが、世界的には、身長が届かない子がペダリングを学ぶ時には、立奏の方が、合理的で一般的です。運転を習う時に、下駄はダメだと言われるのと同じです。

幼稚園園長時代に、それぞれのご家庭のニーズは、全部違う!ということを身にしみて感じてきました。

だからこそ、万人受けをする、スタンダードなピアノ教育、正統派とか、正解とかは、ないと思うし、極論を言えば、上手くならなくても良いと思っています。

ステップや級をあげていき、コンクールを目指す教室もあるも当たり前のように、ラボのような立ち位置を好む人がいてくれて嬉しいです。

まり先生と一緒に野生の音楽の感性を磨いて、楽しい音楽人生を送ろう!という目的の、ピアノの発表の説明でした。