今年で、私の「ニコニコ大会」の参加は3回目となり、マツダ映画社で楽士をさせていただいてからは、欠かさずに出場させていただいています。19世紀のアメリカ音楽を弾くのがとても楽しいこと、「愛」をテーマとしたものが多く蕩けるような愛のために主人公ががんばるシーンにはどんな音楽が聴こえてくるのか?を考えるのも好きな作業です。

そして、付け加えると幼稚園園長時代にとある質問から湧いた疑問の答えをいつも探していることも理由となっています。園長を務めていた幼稚園には、かつて通園バスが2台体制で数コースあり、遅便のバスコースの子たちの待ち時間で雨などで園庭あそびができない時には、折り紙などのほか、ビデオ観賞で安全に時間を過ごすこともありました。いろんな考えのご家庭があるので、「戦いもの」を避けるなど、みんなで観賞ができるビデオ素材を選ぶのは難しいのですが、「トムとジェリー」なら問題ないように思って数分鑑賞させてからバスに乗せたある日、保護者の方からすぐに「トムとジェリーは、可愛そうな物語なので、こどもには見せないでほしい」というクレームまではいかないけれど、個人的なお願いをされたことがありました。

「えっ?トムとジェリーは、私のこどもの頃から『コドモ向け』だったのでは??」と、昭和40年代生まれの私にとってこどもの頃、毎晩テレビで見ていた「古いアメリカのコメディ」の中の「追いかけっこ」等のドタバタ喜劇表現が、若い世代のママたちには、「追いかけられて可愛そう」「意地悪の知識を蓄えてしまいそうで不安」という気持ちがあることを教えていただきました。

そんな疑問を考えつつ保育生活を送っている時に、「キートン」などの往年の無声映画の喜劇に出会い「喜劇映画」の中での音楽の法則性について、自分なりに気づいたことを脳内メモをするようになっていました。

気づいたのは、ドタバタ喜劇では「ここからここまでがお笑いポイントですよ」という音楽でのガイドラインがとっても大切なんだ!ということ。ここでは決して人は死なない。怪我もない。だから安心してアナタは笑ってください、というメッセージは、テロップを聴覚化している気持ちでしっかり示していくのが音楽の仕事で、弁士にそこで熱演していただくためには、楽士はそこは無感情で機械的な定型を示すことが大事だと思うようになりました。