保育士研修受講のみなさま、こどもにリトミック指導をしてみたいとお考えの皆さんへのメッセージ
毎月、様々な方に研修でお会いしています。
ご自身が受け持たれている保育園のクラスで、リトミックを取り入れたい!という現場をすでに持っている方もいらっしゃれば、もともとピアノなど音楽を教えてこられた方が、副業としてリトミック講師をしてみたい方もいらっしゃいました。
「リトミック?」の導入をお考えの際には、たくさんの書物もありますし、その書物の中には楽譜もついていて、「象の動きの楽譜」など動物の模倣なども簡単に指導できそうな感じに受け取られるかもしれません。でも、リトミック指導本には書かれていないのは、それをどう言葉でこどもたちに伝えるのか?何歳ならこの言い方で、などの年齢によっての理解度に応じた説明方法はほとんど網羅されていないように感じています。
「リトミックって楽しそう🎵」というイメージが、あるもののその本の中の「たのしそうなページ」(例として、ゾウさんになって歩いてみよう)があったとします。それをある日のリトミックでいきなり実践してみても、ステップを積んでいっていない活動はなかなかうまくいきません。そんな「ステップ」の踏み方について、今回の研修では感じていただけたらとおもった活動を紹介しています。
月イチリトミック中の月テーマ
リトミックというと、身体全体を使っての表現活動を思い浮かべると思いますが、毎月の積み重ねがあり、しかもベビー期から関わっているという豊富な経験値もあるお子様たちと、息の長いお付き合いをしているので、ソルフェージュとリズム運動という基礎の部分は毎月しっかりと押さえた上で、その月ならではの「主な活動」をテーマとして、系列の園を巡回して楽器、教具などもキャラバンのようにパッキングして移動教室をしています。
こどもには簡単!年中が旬な活動
そんな中の今月のテーマが「音を描こう」だったわけなのですが、私は、園長時代は、この活動を「年中児親子リトミック」として、親子ペアで1本のクレヨンをもち、こどもが親をリードするような形で実施し、大人にはとてもできない柔軟で素早い反応に「こどもって天才!」と感じるような感動を味わっていただく日としていました。
お手本がない活動の難しさ
例えば、「父の日に因んだパパの顔を描こう」というお題であれば、まわりを見渡して、誰もが同じような目が二つあり、頭に毛があったりなかったり、メガネがかけたかな?くらいの心構えなので、お子さんによっては、あまり説明を聞かずとも、目からの情報で周りを見渡して真似をすれば良いこともあるでしょう。そして、普段の生活の中で、なんとなくそんな「勘」で凌いでいた子たちが、この活動をすると、「ハッ」とすることがあります。両隣の子たち、周りの子たちが、全然、違うものを描いている。自分が誰のものを真似をすれば良いのかわからない。
先生の説明の中できちんと押さえている筋道も、普段から「人の話を聞く習慣」ができていないと難しい。
この問題は「おばさん化現象」と言われがちですが、私の経験ではこどもでもあります。
正解がわからない難しさ
この活動中に、何も描けなくて泣き出す子もたまにいます。幼児でも上の兄弟にあわせて計算ドリル、知育ドリルをしているような「空白、余白のない」お子さんに多いと感じています。時間がかかっても良いから、自分で考えるという作業は、どんなに幼くても退化をしてしまうのでしょうか?
不正解をして、間違えを何回も指摘されることで、間違えるリスクという感覚が生まれ、それくらいならば、指示されたことのみをこなせば良いという「家畜化」した行動が生まれがちです。
年少、年中、年長
この活動の旬が年中というのは、年少だと、まだ「言葉」からのイメージを掴むことが難しいことがあるからです。生まれてから3〜4年というどころではなく、まだ言葉の意味がわかって数ヶ月くらいのレベルなこともあります。ただ、年少さんの場合、実体験と仮想の区別なくイメージすることができるので、表現活動としては面白いこともあります。
年長さんは、「褒められたい」「自己承認欲求」が押さえられずに、細長いこの日のための特別あつらえの紙とクレヨンを前に気分がアガってしまい、つい「最近覚えたてのポケモンの新キャラクター」などのHOTな話題を提供してしまいがちです。また、そうゆうことがなくても、言葉の指示を左脳で処理して、うまく右脳と連携しづらい子も見受けられます。ゲーム脳とよく言いますが、自分がタスクを実行したことで「ポコン!(電子音)レベルがあがりました」のような交信状態が脳の中にあると、それが「ディレイ」(時間差)になって、音をおいかける活動だと、うっかりしているとその音が終わってしまう…。そんな年長さんをたまに見受けます。
年中さんは、ちょうどその中間。指導者の説明を言葉のままうけとめてくれて、疑わないので素直に活動に集中してくれることが多いと感じます。
ちなみに同じ活動を大人に対して実施をすると、もう質問の嵐です。
では、次の章では、この活動の具体的なやり方についてお伝えしたいと思います。
おもちゃ楽器コレクション
ピアノは、鍵盤打楽器なので、打鍵するとパンとダイナミクスがでた時しか音がでません。図形にすると、点でしょうか?
ピアニカやオルガンだと、鍵盤を押している間は音がでるので、ブーと鳴っている間はまっすぐな線を描くことができます。
私の教えている幼児たちはレベルが高い(なにせ、ベビー期からいろんな音を聴き取ってリトミックをしているハイパーな耳を持っていますからね!えへん!)
ので、そんな基本的な説明はすっとばして、「面白楽器」から導入します。
曲線を描くのなら「スライドホイッスル」がわかりやすいのですが、私は、今回は、「カズー」 でより、人間の声に近い曲線のイメージを描けるようにしました。他には、ベトナム口琴、猫笛(赤ちゃんの鳴き声にも聴こえる)など、いろんな音をとっかえひっかえシャワーのように繰り出していっています。
うっかりしていると、すぐに次の楽器の音の活動になってしまいます。迷ったらなアウト。迷わずに描けばいいんです。失敗はありません。正解もないからです。
そもそも自分が感じたことには、正解はない。
当たり前のことなのですが、最近は、自分が考えたことにも正解をイメージする傾向があると思います。
年長女子くらいだと、好きな食べ物は?という問いに、
「いちごのパフェ 星型のゼリーがのってるやつ」
とか、食べたことがないものでも、インスタにのってみたことがあるものを「好きな食べ物」という子もいます。情報過多の時代に生きているこどもたちを導く私たちは、「現実」と「仮想」を教えることも役目となっています。
「変」から守ってくれる環境
本日の指導後の研修=カンファレンス時間でも、話題にあげていたのですが、幸いなことに、私が現在、指導をしている園では、どこも「変なの」という他の子の表現活動を揶揄う子がいないのです。これは、ベビー期からリトミック、世界のいろんな民族楽器、そして、変な人(わたし?)を見てきているからとも言えるのかもしれませんが、「自分の家族、まわりの人と異なる才を持つ大人」に比較的寛容なのだと思われます。
そして、一番大事なことは、誰かが自分のことを「変」と言った時に、それを守ってくれる先生がいるという安心感をこどもたち自身も感じているし、誰かを「変」と言ったら、それは「自分が変」と指摘されるようなセーフゾーンが園に機能しているといえるでしょう。
「変」は、実は「変」ではないのです。
人間はみんな自分と基本的に違う、生物多様性の中で生きている。かけっこが上手な人もいれば、なわとびが苦手な人もいる。どちらも「変」ではないのです。
表現は変ではない
もし、私がこの活動のステップをすっとばして、いきなり上写真のリボンでの空間表現だけを「リトミック」とする「単発リトミックの先生」であったら、こどもたちの中には違和感を感じて「変」という子も出現するかもしれません。
リトミックを教える人たちは、それぞれ自分の得意なことを使っていろんなアプローチを工夫しているので、教える人によって内容、方法はいろいろあります。
そして、リトミックをライフワークとしている人のことを「リトミシャン」というのですが、彼らが、大切にしている「ダルクローズ」のワードの中に「身体の解放」があります。
私が憧れているリトミシャンの方々には、実に爽快に音楽がまるで身体で演奏されているように「見える音楽」的な動きがすっとできる方もいます。私もそれを目指して研鑽を積んでいるところです。
私がいま、保育園で教えてきているのは、自分なりの保育経験から、それがどんなステップを積み重ねていくことが、つくづく大切と思っているところです。
6月の立ち位置
幼稚園園長時代、年間の保育目標の中で6月は、「自分の気持ちを言えるようになろう」でした。
いじめの芽を摘むのが、園長としての大切な役目のひとつですが、いじめ、人を嫌な気持ちにしないこと以前に、人によって嫌なこと、不快に思うことは異なることがわからない人もいます。ろくが
雨のジトジト、外に出られない日には、部屋の人口密度もあがり、身体的な発散の場も限られるので、ふと気づくとトイレで女子たちがナイショ話をしている。そんな時に、ナイショ話で共感しあわずに、気持ちを伝える手伝いを繋ぐのが、「先生」の役目。心の交通整理ですよね。
「音を描く」はバイパス
今日の研修では、参加者の先生から、
「まり先生のリトミックは総合藝術(リベラルアーツ)だから」
という声も頂戴しました。
普段から、国内外のいろんな「美しいもの」に敏感にアンテナを貼り巡らせている素敵な先生からの言葉のプレゼントを頂戴して、私も気づいたのは、「今日の音を描く活動」は、音楽と描く活動、感じる活動、表現すること、それを言葉で伝えること〜〜全てを繋ぐ「バイパスの活動」なんだなぁ〜ということです。
感じることの大切さ
絵を描く、演奏、ダンスを発表するなど、結果を追いがちな日常ですが、毎年、梅雨入り前のこの時期に、きちんと時間をとって「感じる」ことのレッスンをしています。
クレヨンだけではなく、紙(模造紙を横に四つ切りにしたもの)や、割り箸にリボンをつけた教具も各園で準備をしていただいています。
毎年、同じ時期に同じ活動を継続していくことで、保育者側の理解や、発達、成長もその中で感じあうことができます。
私は、月に1回ずつの通いの専門教師ですが、保育下の中での指導中は、スポーツさながらのチームを意識して、保育者の皆さんと連携を心掛けています。私がメインの指導を牽引できるのは、適切な空調温度の調整や、こどもの動線確保、音の聞こえなどを自ら感じて考えて動いてくださる先生方がいてこそと感謝が絶えません。
リトミック指導スキルは、むしろ観察&話芸の保育技術だ!
リトミック指導には、ピアノなど得意な楽器を即興的に自在に操るスキルがあれば有利ではありますが、リトミック教室ではなく、保育下で親なし、一斉保育として成立させるために必須なのは、まずは学級経営スキルだと私は思います。
こどもの観察ができるのか?年齢に応じたことばがけ。イメージしやすいパフォーマンスとしての言語選び。そして、たくさんのこどもたちをひっぱっていけるリーダーシップと公平なジャッジ。
こどもたちが、安心してついていける保育スキルがないと、リトミックなんて成立しません。だから、もう40年近くリトミックを教えている私でも、4月は、手品をいっぱいしてなんとか興味を繋ぐ努力をしています。
なので、こどもを動かすことに慣れている保育士こそ、ぜひリトミックをまずはご自身が会得されて、その楽しさをお裾分けという気持ちで、各園にリトミックの輪が広がるのが一番自然なのではないかな?と個人的には思っています。
研修にいらしてくださる先生方の中には、もともとピアノの仕事をしていたりなど、ピアノの演奏をいかせる仕事として、保育士の資格をとろうという方もいます。
一方、ピアノは得意ではないけれど、何か音楽をつかって、自分のクラスのこどもたちと遊びを発展させていきたいという動機の方もいます。
どのような目的であっても、ひとつの参考例として、お気軽にまた研修にいらしていただいたり、また、勤務園に出張リトミックで私を呼んでいただけたらとも思っています。
リトミックには3つの要素
1)ソルフェージュ
2)リズム運動
3)即興演奏
この他にも、様々な要素の動画もいろいろだしています。ぜひ、ご訪問くださいませ。