撮影 新野たき子さん
12/10(土)エスパス・ビブリオ「喜劇映画のビタミンPART4~身体表現と音楽」
ピアノ谷川賢作 ギター坂ノ下典正 活弁・楽士 坂本真理
無事終了いたしました!
撮影 ほにゃ〜さん
谷川さん、坂の下さんとのトリオ演奏
撮影 ほにゃ〜さん
ソロ演目は、「月世界旅行」
これは、その月世界旅行の演目レポートです。
私の好きが高じて、楽団「ぺとら」として、様々な児童向けの施設での上映楽士や、映画の世界感から派生した「音楽ショー」、「ミュージカル」などにも発展させてきた「月世界旅行」は、
今は、youtubeなどでも、アンビエントなサウンドに乗せて、さまざなな音楽が乗せられて、BGV的なオシャレな空間演出にも使われていたり、ミュージシャンたちの即興演奏の相棒としてなど、様々な切り口があると思います。
ワタクシ、「まり先生」及び私の主宰する楽団「ぺとら」が、この作品を取り上げる目的は、二つの私にしかできないことが、ここにあると思っているからです。
一つは、元幼稚園園長、現在もこどもと音楽をつなぐ仕事をライフワークとするものとして、「この作品を物語として、こどもたちに伝える使命」のようなものを勝手に感じているからです。
こんな素晴らしい作品を、大人の世界のものにしておくのは、もったいない!これこそ、こどもの感じる「ウソこの世界」だと思うからです。
二つ目は、リトミシャン(リトミックをする人)として、この演者たちの身体表現に、興味を持ち、自分でもできる範囲としてのイメージの手応えがあったからです。
リトミックは、「時間と空間の芸術」という定義の中で、多くの場合、音楽のその場のエネルギーを、身体に置き換えて、「この音だったら、こんな音がマッチするかなぁ〜」
ということを当て込んでいく作業をしていきます。サイレント映画であれば、映像の中のアクションを楽器の音や奏法に置き換えることは、本当に楽しい実験であり、イマジネーションが広がっていく喜びを感じます。
映画も、創設時代は、まだ「映画専門の俳優」という人はいなくて、舞台俳優やサーカスの曲芸師などの分野の表現者が力を合わせて演じています。メリエスはマジシャンでもあったので、セットに奇術の仕掛けを作ったりと、「映画でしかできないこと」を色々と実験していったようです。
時代が進んで、「映画俳優」とか、映画専門の音楽などが発達する前である。
そんなピンポイントのところが、私が、「メリエスの月世界旅行」が大好きな理由です。
時代的には、この後だけれども、まだ音声がない時代の「キートン」の作品くらいになると、
大規模なロケと、驚異的な身体能力によって、びっくり映像が完成されているのですが、
その映像のエネルギーを、音楽に換算するとなると?それは、それでそれ相応のエネルギーのサウンドが必要となることでしょう。
加えて、小澤敏也の没後は、小澤の楽器コクレションの中から、ぺとらを含む私の音楽活動に似合ったものを見繕って、遺してくれたものを私自身が所有するキーワードとして、「ブラジルのパンデイロは、世界にたくさんの種類があるタンバリン族の仲間」という立ち位置を小澤から提案されたので、それらを研究するうちに、自然と、様々な音楽世界によって、異なる音楽のグルーヴ(訛り)について、興味を持つようになりました。
リトミックと、シネマは、創世時期と地域が重なるので、リズムの訛りは、リトミックでいうところの、「アナクルーシス」(小節の最後の拍)を強調することで一致することを感じています。それは、当時は、撮影用のフィルムを回す時に、床を棒で打ってカウントするなどの工夫をしたことから、自然とそのリズムの訛りが、欧州風か身振り手振り、次のアクションへの句読点となったと、私は推測しています。
創世記のメリエスの映画には、そんなリトミックの共通点がたくさんあると感じています。
リトミシャンとして、物体の動くエネルギーと同等なサウンドを作る。それは、「身体の楽器化」「空間で音楽を演奏する」ということをサイレント映画で実現する試みをすることとつながるように思えているのです。
詳細を述べる前の前置きとして、これまで約5年ほどこの作品について試行錯誤をしてきたメンバーを紹介したいと思います。
まず最初に、グループバージョンとしての楽器編成と、ソロバージョンの使用楽器を比較します。
楽団「ペとら」
バグパイプ、クルムホルン、リコーダー、フルート等欧州古楽器 近藤治夫(中世の放浪楽師ジョングルール・ボン・ミュジシャン主宰)
ブラジル・アフリカ系パーカッション 小澤敏也(劇団四季ライオンキング、本田竹宏ピュア、KING、オリジナルラブ(サポート)、ピカイアパンデイロスペシャル等、造形派パーカッショニスト、2013没)
ピアノ 福澤達郎(ジャワガムラン演奏家、作曲家、元こどもの城ガムラン講師)
アラブ・インドパーカッション 立岩潤三(ゴーストなどのロックから、ベリーダンスとの競演など幅広いジャンル)小澤の没後に参加
そして、
私は、子供にもわかりやすいことばの語り、歌、ピアノ、そして、効果音として風船を割ったりする役目を担っていました。演目の中の構成、台本と、作曲を担当していたので、メロディ部分などの譜面は作成しましたが、楽器の選択や音像は、ミュージシャンと相談した共同作業です。
ラボにあるたくさんの楽器から、ソロ用に楽器を選びました。
音源の打ち込みの作業風景。
練習は、こんな風におこなっていました。
ソロでは、
キーボードの設定を、「フェイバリット」機能で、すぐに使用したい音色をボタン一つで呼び出せるようにすることで、音階のない実験的なシンセイザー電子音も含む8種類ほどの音色を使用するとともに、
AUDIO機能のサンプリングで、南アフリカのチルドレンコーラスなどの素材を元にMacのGarageBandで作成した打ち込みの楽曲を再生もしていました。
再生をしたのは、どうしても語りの口上が鍵盤を弾きながらだと成り立たない冒頭の状況説明の部分や、忙しくパーカッションを手で操作する場面のみで、基本的には、手では、鍵盤を弾きながら、足でキーボードのペダルの他に、バスドラなど3種類の打楽器を操作して、口では語りを歌をやりつつという「ワンマンバンド」方式です。
「ワンマンバンド」というのは、欧州の大道芸人の一種で、ディズニー映画の「メアリーポピンズ」のバートが、これをやっていて、私の小さい頃の憧れでした。
私は、リトミックをしていることもあるのですが、どちらかというと、子供の頃から、ピアノを弾きながら喋ったりすることは、得意で、高校時代は、親にピアノの練習をしていると音でアピールしながら、実は、漫画をずっと読んでいました。これについては、よく質問で「しゃべりながらピアノを弾くにはどうしたら良いのですか?」と聞いていただくのですが、「自動演奏モードで手を脳から切り離して、手で覚えているように自然に任せて弾くこと」というと、ポカンとされてしまいます。
数々の笛類などは、ライオンキングでの経験から、「劇の伴奏」にとても興味を持って、いろんな現場で実験を重ねてきた亡き小澤師匠の直伝の「飛び道具」です。小澤師匠は、「造形派パーカッショニスト」と名乗っていたので、私もそれに習って、飛び道具の音が「立つ」ことを心がけて演奏しています。
演奏に関しては、私は自分の力量をわきまえているし、超絶技巧はできないのですが、小澤師匠に、「4本の手」と言われたくらい手足をバラバラに使うことができること。それと、リトミックとともに、バレエと歴史的舞踏の経験があるので、当時の欧州の人が、踊り子さんを使って、「人体のコラージュ」をすることや、「舞踏譜」という書面をおこしてまでも、撮影する動きの軌跡を持っていることを映像でも感じられることは、なかなか珍しいことなのかもしれないと、思っています。
本番の足元風景。
では、ラボなので、
順を追って、考察のポイントを記録していきましょう。
この演目をする前の口上として、子供向けならば、必ず避けて通れないのは、
まず、「大砲」とは何か?という問題です。
模型を作って説明するときもありますが、ディズニーランドの大きな花火というと、子供たちもわかりやすいようです。
最初のシーンの大講堂のシーンで、私や「ぺとら」で強調したいのは、この天体望遠鏡が、椅子に変わるマジックです。奇術師でもあったメリエスらしい、映画だからこそできる奇術なので、私が今まで見たこの映像との音楽とのコラボ作品では、ほとんどがスルーされていました。でも、私は、このシーンが大好きなので、ソロでも、ここは音を削ることなく、小さなウィンドチャイムを右足で鳴らしました。
この製鉄所のシーンでは、「ペとら」ver.では、「5拍子」の曲を使って、たくさんのハンマーがふりおろされることで生まれるポリリズムを表現したのですが、私が一人でやる場合、5拍子の曲をピアノで弾くのに、脳で自動演奏は無理だったので、ポリリズム作品は諦め、楽器も、「ピートエンゲルハート」(NY生まれの鉄の楽器)の一番小さいサイズのものとしました。音の厚みが少なくなってしまったので、冒頭にサンプリング再生で、アフリカンコーラスを入れて、人数感を足しました。
大砲を打ち上げるための火薬を作っているシーン。
ここでは、モノクロだけれども、匂いや、色が感じられるような音を小澤師匠がたくさん探してくれましたので、私は、そこをそのまま引き継ぎました。煙感、ホワンホワン感のある音色です。
大砲に装填するシーン。
ゆっくり奥まで押しこまれる音像は、バグパイプの近藤師匠のアイディアで、ドローン音を利かすことにしています。ぺとらver.では、バグパイプなのですが、ソロでは、ミュゼットの音色を使用しています。ドローン音というのは、古い時代の曲で、伴奏のように絶えず鳴らされいる低音のことです。
エネルギーの方向性として、ドローン音が進行方向と作用を表現し、そのほかのメロディで、タイムラインを表現するそれ用の楽曲としては名作の近藤さん即興を私はそのまま借用して生演奏しました。
必要があるのか?ないのか?謎なのが、この踊り子さんたちの人間によるコラージュです。リトミックの初期の資料にも、よくこうゆう「造型」は出てきます。リアリティとしてならば、力強い兵隊さんが担った方が合理的だと思うし、危険な場所なのに!と思うけれど、場の華やかさを出すということが優先されていて、この時代は、それが身体だったということをあてはめると、当然、それに対するリアクションの音を再現しなければなりません。ここでは、「拍手」のサンプリングを再生しました。
次の点火前のファンファーレ部分。
ぺとらでは、近藤さんが、チャルメラのような古楽器「ラウシュップファイフェ」でファンファーレを奏でました。
私ソロでは、カズーです。一瞬で、語りと両立するのには、運指のないカズーが便利でした。
点火と同時の大砲発砲音は、足でバスドラを踏みました。
そのあとの人々の歓声シーンは、そのまま「歓声」のサウンドエフェクトをサンプリングしたものを再生しました。
「拍手」も「歓声」も、他の人々は、音楽の一部として、特に取り上げていないことが多いのですが、
私は、長年、こどもたちを教えていた立場から、
「この実験は、み〜んなに応援されて、喜ばれて実現できたことなんだよ」
ということを大冒険の前に伝えることは、とても大切だと思いました。
この物語は、激励を持って送り出された大冒険だから、きっと冒険者たちは、帰ってくるハッピーエンドだと、こどもたちが安心して続きを見てくれるように、保育者だったら、シーンになくても、言葉を挟むところだと思います。
この後が、有名な、メリエス自身が月となって顔面を提供しているシーン。
これの音に関しては、ソロでは、あえてシンバル等のクラッシュ音ではなく、紙風船を握りつぶす音を実演しました。
だって、衝撃音なんかしたら、
「中の乗組員たち、死んじゃってる」と、思いますよね。
だから、死なないような音にしてみました。
ここで、オリジナルソング「月に着いた」です。
ケイト・ブッシュになりきって歌いあげました。
「初日の出」ならぬ地球の出。
ぺとらでは、お正月のイメージで「春の海」
ソロでは、エナジーボール(ヒーリング楽器)を鳴らしました。
流れ星 ぺとらでは、小澤師匠手作りの大きなツリーチャイム。
ソロでは、ミニツリーチャイムを右足で鳴らしました。
ぺとらでは、ここは、「星のヴォーカリーズ」として、これとほぼ同時代のフランスの作曲家プーランクのオマージュのヴォーカリーズ(歌ではない今でいうヴォイスパフォーマンス)をメンバー全員でしました。
ソロでは、小さなベルを交互にならしつつ、アキバの地下アイドルのような宇宙語のヴォイスをしてみました。ベルの音は、高い音だけれども、そこそこの重量感のあるスイス製の小さいカウベルです。チベタンベルだと、高音すぎで、なかなかベルの音選びは難しいです。ある程度のチューニングは、ガムテープで調節可能なので、欲しい音が出るまで、何回も選手交代がありました。
双子星などのシーンは、ぺとらでは、東京藝大作曲科卒の福澤達郎が、スティーヴ・ライヒのようなミニマムミュージックを演奏しました。私は、モダンチューニングのカ・リンバを語りを入れながら演奏しました。カ・リンバも、ピアノと同じくらい、語りながら演奏しやすく、脳内で「自動演奏」にするにも向いている楽器と思われます。
この場面は、ソロでは、一番、忙しかったです。キーボードの音色をSE系にプリセットした状態で、鍵盤を弾いたら、それをペダルでサスティンさせて、その合間に、両手を離して口琴で地底人の動きを演奏しています。
そして、地底人消滅のゲームでいうところのバキュン音は、バスドラを足で踏んでいます。
語りも、口で入れています。
ぺとらでは、小澤さんが、地底人音は、すべてアフリカ太鼓のジェンベを叩いていました。プリミティブ(原始的)なイメージというラインを崩さずに、全体のサウンドデザインをしました。
ところで、私は、ここで、地底人を「消す」と言って、あえて殺生と捉えませんでした。
時代的には、「成敗」とか、「やっつける」程度のことかもしれませんが、ここで、現地人を大虐殺することにしてしまうと、子供の前では上演できませんよね。なので、音としても、「消えちゃった」程度のエネルギーのバスドラ音を淡々とした音で、ただし、タイミングは正確にオペレーションしました。
地底人セレナイトの王宮
ほら、ここでも、踊り子さんたちが、舞台装置のコラージュとして、装飾されています。
雅な感じになるファンファーレをオリジナル作曲。
セレナイトの王様の現地語の口上は、ダック笛を使いました。
逃亡のシーンは、オリジナル曲で、電子音いっぱいの打ち込みサウンドをサンプリングで再生しています。
ここいら辺は、いっぱいいっぱい戦闘シーンがあって、セレナイトが消されるたびに、足でバスドラを踏むので忙しいです。
月なのに、重量とか引力とかの影響を受けることなく、紐をひっぱるだけで地球に帰還できるというまるで工作のような展開なので、音は、ソロでは、スライドホイッスルにしました。
ぺとらでは、福澤のミニマムミュージックでした。
ここは、メリエスが、本物の魚のいる水槽をカメラの前に置いて撮影した、渾身のシーンです。
ぺとらでは、小澤の没後に、新しくパーカッションに迎えたオリエンタルパーカッションの立岩潤三さんが、得意の水芸で、水槽にストローを入れて、絶妙なマイキングで、ブクブクした自然な水のバブル音をリアル演奏してくれました。
ソロだと、水の準備が大変なので、ここでもサンプリング音を使用してしまいました。
前の海中から、水面に上がったシーンでは、ちゃんとその状況の水圧のあるなしを音で表現しなければいけません。
「ぺとら」でも、ソロでも、そこは、迎えに来た船の汽笛音を出しました。
ソロでは、空気の存在を現すために、ベトナムの鳥のはばたきの音を楽しむおもちゃ楽器を使いました。
さて、ここがこの映画の一番の肝である凱旋シーン。
パリなどの都市に凱旋門がある通り、大きな功績を持って、錦を飾ることが、とても大きな意味があることがわかります。そして、そこには、パレードや輪になって踊ること、市長の表彰などがセットになっている。
日本の江戸時代だったら、瓦版が、ニュースとして取り上げ、後で歌舞伎の芝居になったり、浮世絵になったりしたのかもしれませんね。
トルコ軍楽隊がヨーロッパでとても大きな影響を受けたことも、ぺとらでは、毎回取りあげて、レパートリーになっているので、ここも壮大なオリジナル曲を作りました。
メダルの授与のシーンもあるので、
「ぺとら」のワンマン公演では、ゲストへのお土産に月のメダルを紙粘土で作ってプレゼントしました。
現在は、銀細工で、きちんとした作品を10円玉サイズで自分で掘って製作したものを販売しています。
大円団のラストシーン
舞曲「ブランル」のステップなので、トラッドの曲を打ち込み、再生しつつ、
ヨーロッパタイプのタンバリンを両手で、足も足用にスタンドに立てたフレームタンバリンやバスドラ、チャイムなどをフル稼動で鳴らしました。
ソロ活動の今後の展望として、
ワークショップ形式にして、お客様にあらかじめこの「ブランル」のステップを体験してもらって、身体でリズムも感じていただいてもいいですね。
長くなってしまいましたが、ラボとして、この楽曲でのラボ活動の様子をまとめてみました。
こちらは、銀製品。趣味なので、欲しい方に¥15000のほぼ重さ対価で販売もさせていただいています。